オニババ化する女たち
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先日、三砂(みさご)さんの「月の小屋」を読んで、この人の本をもっと読んでみたいなと思い、この本を手に入れました。
「月の小屋」はエッセイか小説かエッセイか?小説なのね、うん、どちらにしろ良いものを読んだ、と思っていましたが、これは新書でもあるしタイトルからして小説ではありません。
「月の小屋」というしっとりとしたタイトルからもかけ離れていて、なんだかどうしよう、この人のこと嫌いになりゃあせんかと不安にかられながら開きました。
「はじめに」のところで、日本の昔話にはよくオニババや山姥(やまんば)が出てくるが、あれは、社会のなかで適切な役割を与えられない独身の更年期女性が、山に籠るしかなくなり、オニババとなり、ときおり「エネルギー」の行き場を求めて、若い男を襲うしかない、という話だったと、とらえている。
・・と書いてあり、え?そうゆう解釈で、そこからどうつなげていくのだろう、やっぱ不安。。と思ったのですが、読みすすめていくとなるほどなるほど、そうそうこうゆうことをはっきり書いてくれなきゃあ、こうゆうのを考えていかなきゃ日本の未来は明るくならないぞ、というところまで説得されたわたしです。
女性として生まれてきたからには、自分の性、つまり月経や、性体験、出産といった自らの女性性に向き合うことが大切にされないと、ある時期に人としてとてもつらいことになるのではないかと。最近、やさしい、かわいらしいおばあちゃんが減ってきつくて怖いおばあちゃんが増えたのも、いつまでも自分のことばかり考え、周囲に苛立ちをぶつけたりして、穏やかに「枯れられない」何かを持っているのではないかと三砂さんは言います。
性と生殖に係るエネルギーを抑えつけて使わないようにしてるとあちこち弊害が出てくるし、そのエネルギーもめったやたらに使えばよいというのではなく、喜びに満ちた経験でなくては、エネルギーも本当に満たされたとはいえないと。
どうやって気持ちよく生きて、スッと枯れていくか。どうやって満たされた一生を送るか。やはり女性はからだに向き合うしかないのだと言い切ります。 精神世界とかスピリチュアルなことを知るのもいいけれどそちらに逃げるのははっきり言って大きな間違いで、そんなからだが無くてもできるようなことは、からだを持っているときはしなくとも、からだがあるうちはからだのことに向き合いましょうと。
わたしもいつかもっと年をとって誰から見ても「おばあちゃん」になる日が来ることと思います。そのとき、うまく燃やすことができなかったエネルギーをぶすぶすくすぶらせて黒い煙を出したりしないように、いま、からだが求めるものを確かめながら上手に昇華させて、恐ろしいオニババになったりしないように女を生きようと思いました。
友人(女性の)に会うとほとんど皆にこの本の話をしてしまい、すると皆すごく興味を持って聞いてくれて、話がどんどん発展します。 話しきれなくて、結局友人たちはこの本を買ってしまっているようです。
ここにも書ききれないので、女性のみなさーん、読んでみてくださーい。
おばあちゃんになるにはまだ少々間があるので、今日もまた勉強です。 司法書士の。
しばらく書いていませんでしたが、ひーひー言いながら勉強を続けておりますです。もう毎日やめようか続けようかやめちまおうか遊んじゃおうかがんばろうか苦しいぞ読書三昧したい時間を忘れてユーチューブで音楽聴きたい呑みに行きたいと思いながら続けております。 しばらく前からこの本の話を書きたかったの。やっと書けたぁ!ああ、すっきりした。
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このデビューアルバムにはメンバー全員の目玉だけの写真が並んでいるんですよ。ニーズがあるんですね。
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